感性について思うこと

先日、レッスン終わりにふらりと立ち寄ったアンティークのお店で、店内の隅々まで大好きなランプを探し回っていたら、お店のマダムと日本の灯りの眩しさについて思わず話に花が咲いた。

 

加齢のせいか、年々瞳の色も薄くなってきているからかもしれないけれど、

とにかく眩しくてお店や駅内こそサングラスをかけたくなるんです、と。

 

照明にこだわっているエリアやお店は勿論あって素敵だけれど、まだまだ商業優先な景観も多く。日本人にも古くからの良い感性というのは根づいて在るのに、ヨーロッパと比較してしまうといつも少し残念に思う。

 

ただ日本好きの西欧の人からすれば、都心のネオン街と地方の日本らしさの残る街並みのギャップが素敵だということだから、結局は感性によるものの見方と好みの違いなのかもしれない。

 

音楽においても、昔から短調の調性がしっくりくる、等の幼少からの感受性は意外とその後まで変わらない部分がある。

幼少期にどんな環境で生きて、どんなものを目にしたり聴いたりしてきたか、それをどう感受していたか、色々な要素が色濃く影響しているのだろう。

 

そしてその後、年齢を重ねていく中どんな経験をしたかで、この感性は新たに塗り替えられたり、アップデートされたりしながら成熟していくのかもしれない。

 

私たちの周りに、自分の感性に共感し寄り添ってくれる人がいたとき、特にそれがこれまで容易に得られる環境にいなかった場合、人はとても安心するだろうし、そこに静かな幸せを感じると思う。

 

これまでの貴重な出会いの数々を大切にしつつ、柔らかい灯りのような良いご縁を増やしていきたい。